バーチャルネット雪賊 頂賊lv1
レッドブル。
アクティブな学生にオススメとも書いてあるレッドブルだが、確かにアレは気合入れて資料作る時とか、起きぬけに飲むとスーッとしてよい。値段がネックなので常用できないのはあるが確かに効果はあると思う。

拡販キャンペーン中だとかで、それっぽいイベントなら依頼すると営業が持ってくるらしいという噂を聞いた。

画像がシュレイド場の新アイテム、ブラックドラゴン。飲むと死ぬ。ああ、ツバサってそういう。

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手荷物スタイル。
カバンに入れてると読まない本や論文がある。

これを手に持って行動するだけで、意外と読める事が判明。手持無沙汰な人にオススメ。

学校に行く時は教科書だのなんだの色々必要な物を持って行くけれど、人によっては最も重要な物以外持たせないというやり方もありなんではなかろうか。

むしろ紙媒体の優秀さに目を向けるべきかもしれない。
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素養と資質。
手で砂をさらったりして、何かを得た気になる。

大体そういうものは、遅かれ速かれ有り触れたものだと気づき、特別なものではないと知るだろう。

しかし、砂をさらうのには体力を使う。これは地道に己を育てる事で素養となる。より多く砂をさらう事ができる様にもなるし、いずれ土を抉る事も出来る様にもなるだろう。

素養とは、その砂をさらおうとする事の必然性に気づいている事である。素養のない人は、何かを得る為に、その砂をさらおうとする事自体に気づかない。

素養のある人はある時、砂をさらう手についた砂鉄のごとき何かに見つける時が来る。この砂鉄の様なものは良い経験である。有り触れた砂の中から砂鉄を見出す時というのは、その人にとって今までにない経験を得た時である。

これを繰り返して行くと力の存在に気づく事がある。その力とは、己の中にある砂鉄を引き寄せる磁力の様な力である。最初は微々たるものだが、やがて段々とその力を中心に、より効率よく経験を吸い寄せる事が出来る様になっていく。そうなった時、これを資質と呼ぶ。センスや才能と言い換えても良い。

資質とは、そのさらった砂からより多くの砂鉄を見つける事ができる力である。資質のない人は、どれだけの砂をさらおうと得られる経験は少ないし、そもそも経験する事自体が出来ない。

資質には個人差がある。努力して砂鉄を引き寄せる人もいれば、何ともなしに砂金を拾い上げてしまう人もいる。それは天才と呼ばれる人の事であり、仕方がない事だ。どれだけの素養を得たとしても、望む資質が身に付かない事もある。

しかし、経験は嘘をつかない。いずれ自分の資質が別物だった事に気づけば、手に付いたものが砂鉄ではない別のものだと気づくだろう。

砂をさらう事は無意味ではない。素養も資質も、砂をさらう事から始まるのだ。
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共通言語。
Aという集団に属するa、Bという集団に属するbが居たとして、その両方に属するcが居た時。cはそのどちらに話しかけるかによって、Aの言語とBの言語を使い分けねばならない。Cという言語は存在しない。

お互いが知っている事が前提で話が通じるのは、上の例で言えばaとc、またはbとcが既に同じ言語を持つ集団に属しているからだ。

一般的な事であれば通じるというレベルの話であれば、それはa,b,c全てが属する集団Xが存在し、言語Xが「共通言語」として用いられているだけの話だ。もし、Cという言語を使いたいというのであれば、先ずはCという集団を生みださねばならない。

異なる集団に属する人間と話をする場合、自分がどの集団に属し、相手がどの集団に属しているかを把握する必要がある。
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スティールボールランを読み終わって。
スティールボールランを通しで読み終わってみて、SBRのテーマが自分なりに納得出来た。

スタンドという無から有を生み出す心の才能と、それに近づこうとする回転という技術、そして前人未到のレースと、隠された聖人の遺体を巡る戦いを軸に展開したジョジョ7部。

結果としてジョニィはディオや大統領には勝てず、ジャイロは死に、「主人公が正義で敵は悪者」「悪者を倒して大団円」といった話にはならなかった。

だがそこに痺れる。だからこそ現代の若者へ送る荒木飛呂彦氏なりのエールなのだと、紛れもないジョジョの系譜たる少年漫画だと感じた。

物語にはいくのかのキーワードが登場する。それらについて自分なりの解釈を述べる。

一つは、主人公の一人であるジャイロが、もう一人の主人公であるジョニィに言う『Lesson』である。『Lesson』は出会った時の1から、死の直前に口にした5まで。『妙な期待をするな』『筋肉には悟られるな』『回転を信じろ』『敬意を払え』、そして『一番の近道は遠回りだった』『遠回りこそが俺の最短の道だった』
の5つである(五つ目は二つ合わせて一つ)。

独特の言い回しであるが、自分はこれを、ジャイロを通じた現代の若者への『Lesson』である様に思った。

現代の若者は失敗を恐れがちで挑戦することから身を離したがる。それは「楽をしてもある程度の物が手に入る世の中」だとか、「大人達が決めたルールには勝てないと思わされている」だとかは置いておく。ともかくそういった、「人を無気力にさせる何かと戦う術」をジャイロがジョニィに教えるのを通じて、自分達に伝えようとしているんだと思う。

別のキーワードとして、ジャイロの事を『受け継いで来た者』だとか『受け身の対応者』だとかと例え、対して、ジョニィを『餓えた者』と例えるシーンがある。ジョニィはこの時、『もっと気高く餓える必要がある』と言っている。この『対応者』と『餓える者』を『大人』と『若者』に置き換えてみると、『若者』に対し、目標にもっと気高く貪欲になれと言っている様にも取れる。また同様に、時には大人も餓えなければいけないとも伝えている様にも思える。『Lesson』は、こういったメッセージを、より強調する為の、テクニックなのだ。

何よりも重要なキーワードが、それぞれ『Lesson3,4』にもなっている、『回転』と『敬意』だ。作中では『回転』をエネルギーとし、それを直接的な武器や技として表現している。しかしこれはファンタジーに限った話ではないのではないかと思う。現代の社会に置き換えれば、これは生活サイクルや、社会の環、ひいては食物連鎖といった円環構造に表れる。大きな問題や壁へ乗り越えるには、それぞれに対応した環の力、つまりは『回転』が大事なのだ。どれだけ強力な力も、環を乱してしまうならいずれ負けてしまうのだ。スポーツでいうチームワークや、兄弟の仲の良さ、これらも『回転』の力が具現化した一つであると思う。

そして『敬意』だ。作中では、黄金長方形が『回転』の力を生み出す最良の形であるとしている。ここで印象深かったのが、比率をコピーした人造物を見るのではなく、自然界に存在するオリジナルの比率を観る事が大事であり、その為には『回転』や自然に対して『敬意』を以って観察しなければならないというエピソードがある。素晴らしい物や事は、人に教わるのではなく、自らの感性によって気づくものであり、その為に『敬意』を忘れてはならないという事ではなかろうか。また、自然が『回転』の力で成り立っているとすれば、『回転』を信じ、それを繋げて行こうとするものは、どんな苦境に立とうとも、『回転』に助けられるだろうという、希望を込めた話も同様に印象深かった。

最後の『Lesson5』では、『一番の近道は遠回りだった』と述べている。この時ジョニィは『Lesson1』以前に言われた何気ない会話を思い出している(馬に蹴られて死ぬ云々というただの罵倒。この後馬に蹴られる力を利用して敵を倒している)。伝えたい事ははるか昔に伝えた事であり、ジョニィはそれを忘れていなかった。そんな些細な事が、壁を乗り越える最後の『Lesson』だったのだ。二人にもしお互いに対する『敬意』と信頼がなければ、このやりとりはなかっただろう。

結果としてジョニィは負ける。しかし、再び歩き出すためにジョニィは戦い、挑戦を成し遂げた事で大きく成長した。ディオに敗北した後スティールに助けられた事も、彼が今まで信じてきた回転の力なのかもしれない。そして勝利の為にまた挑戦をするのだろう。

そしてジャイロは、大人に成らざるを得ない若者として、自らの魂の納得の為にツェペリ一族の掟に反抗した。なんとしても勝利し我を通そうしたが、最終的にはその生き様をジョニィに伝えた事で自分の運命を納得した様に思えた。最後の『Lesson』として『遠回りこそが俺の最短の道だった』と、初めて二つの『Lesson』を口にしたジャイロ。うまく言えないが、掟を受け入れ、誰かの敷いたルールに準じて生きる大人ではなく、若者を導くものとして、課せられた責を果たす大人としての自分に納得したのかもしれないと思った。

この作品のテーマは、ジョニィが再び歩き出す物語だと二話で述べている。自分は、若者や大人、そして社会が、失敗を恐れず、挑戦する為に、何が大事なのか、というテーマとして捉えた時、非常に納得した。そしてまた、時代の主人公はやはり若者であり、作者である荒木飛呂彦氏から、全力のエールを贈られている様に思えた。
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